こころの休憩室(心理コラム)

犠牲は誰も幸せにしない

犠牲は誰も幸せにしない

誰かを幸せにするために、自分を犠牲にする。

時代の流れもあり、今はだいぶ減ったと思いますが、献身や辛抱を美徳とする日本人には、未だに犠牲的な生き方をする人も少なくありません。

誰かのために、みんなのために、自分を抑えて人に尽くす。

こういう生き方を賞賛する声もあります。しかし、犠牲的な生き方は、誰も幸せにしません。なぜなら、誰かの犠牲の上に幸せになった人は、罪悪感を抱くからです。

例えば、母親が子供のために犠牲になっていると、子供は「自分のせいで母親が苦しんでいる」ということを心で感じ取ります。すると「母を苦しめている自分なんて幸せになる資格がない」と思い込み、子供が自分の人生を生きるときの障害になってしまうんです。

また、犠牲的に生きている人は、人にも犠牲的になることを求めます。なぜなら、それが正しいと思い込んでいるからです。そうやって、犠牲という不幸が伝染していってしまうんです。

誰でも、心のどこかに、誰かを幸せにしたいという欲求があります。しかし、それを自分を犠牲にしてまでやってしまうと、本人も相手も、そして周りの人も、不幸になってしまいます。

自分のワクワクを追及する

犠牲とは真逆の生き方があります。

それは、自分の最もワクワクすることをやる、という生き方です。

誰かのためでなく、自分のために、いや自分のためという意識すらなく、自分が楽しい、面白いと感じるものをただやっていく、という生き方です。

ある子供の引きこもりに悩んでいる母親が「子供のことが心配で家を離れられない。子供の将来を考えると不安でたまらない」と人に相談をしました。

その相談を受けた方は、こう言ったんです。

「子供といっても、もう立派な年齢なんだから、自分で自分のことくらいは考えるでしょう。そんなことより、あなたが笑顔になれるようなことをしてはいかがですか

そのアドバイスに従い、子供を家に置いて、友達とランチに行ったり、カルチャーセンターに通ったりし始めたんですね。すると、楽しくなってきて、子供のことも気にならなくなりました。一方、子供は子供で、母親が自分を気にかけてもらえなくなったことに焦りを感じたのか、バイトを自分で見つけてきて、働き始めたんです。

犠牲になることをやめ、ワクワクすることを楽しんでいただけで、状況は一変したわけですね。もちろん、こんなにうまくいくとは限りませんが、少なくとも母親の悩みが一つ消えたことは確かです。

人は、自分には価値がないと感じると、自分を犠牲にしてでも、人を喜ばせて、自分の価値を確かめようとしたくなります。あるいは、自分は悪い人間だと思うと、それを償うために、無理にいい人になろうとします。犠牲的な行動の元には、そういった無価値感や、罪悪感が潜んでいます。

しかし、無価値観や罪悪感も、自分がワクワクすることをすると感じなくなります。なぜなら、ワクワクする行動が、自分の全て満たし、心の傷さえ癒してしまうからです。ワクワクしていたら、不治の病さえ治ってしまったという話もあります。

犠牲は誰も幸せにはしませんが、ワクワクは、少なくとも本人を幸せにします。

犠牲を選ぶ代わりに、ワクワクすることを選びましょう。それが、犠牲を手放し、幸せになる一番の近道です。

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