あなたは、今、どんなことで悩んでいるのでしょうか?あるいは、どんな願いを叶えたいのでしょうか?
これから「私が何故セラピストとなったのか」というお話をしたいと思います。もしかすると、あなたのお役に立てるお話であるかもしれません。ちょっと長いですが、よろしければ、暫くの間、私の話にお付き合いください。
もうこんな人生は嫌だ!
私は、十数年間、人と普通に会話をしたり、自分の気持ちを伝えることができず、苦しんできました。人を前にすると現れる、赤面や発汗、手足の震えなど、いわゆる、対人恐怖症(対人緊張)と呼ばれる症状に悩んでいたのです
人と普通に話したり、笑いあったりしたいだけなのに、それができないのです。友達もほとんどいませんでしたし、悩みを話せる人もいません。そんな、自分が大嫌いで、鏡を直視することすらできませんでした。このままずっと孤独に生きていくのか……。そう思うと、気が狂ってしまいそうでした。
そんな私がまさか将来、心理セラピストとして、最も苦手な人と関わることを仕事をするとは、思いもしませんでした。いつか自分にしかできない仕事をしたいと思ってはいましたが、そのときの自分は全く自信がありません。将来のことを考えても、ただただ不安なだけで、その日を生きるだけで精一杯という状態でした。
では、なぜそんな私が自分の人生を思うように生きられるようになったのかというと、それは、ある運命的な出会いがあったからでした。
私は、人一倍思いの力が強いらしく、時々、自分の望みを叶えるために奇跡としかいいようのない、偶然の出来事が起こることがあります。「もうこんな人生は嫌だ!」その思いがピークに達したとき、ある人と出会ったのです。その方は、私にこう言いました。
「あなたは、自分のことを見て見ぬふりをしてる。本当は、知りたいくせに、知るのが怖いんじゃない?いつも、そうやって怖がって自分の殻に閉じこもってしまう。まるでヤドカリみたい」そう言って、私の本質を見事に言い当てられたのです。
その方は、あるセミナーを受けてみないか、と言うのです。それは、自分探しのセミナーでした。自分は、どうして今の自分になったのか。本当はどんな生き方をしたいのか。どうすればそれができるのか。その答えが解るというのです。
そして、その方もそのセミナーを受けて人生が変わったと言うのです。両親との確執が解けて、素直な自分になれたとその方はおっしゃいました。私には、そんな話が全く信じられず、ひねくれた心には届いていませんでしたが……。
ただ、そのセミナーを受けて「前世の記憶を思い出す人がいた」というところに興味を持ち、自分にも前世が見えるのならぜひともやってみたいと思ったのです。(後にも先にも、そんな動機で、セミナーを受けようとした人は、私だけだったようです)
しかし、お金を理由にして(そのときの私にとっては、かなりの大金だったので)一旦は断りました。すると今度は、全く別な場所で出会った方からも、同じセミナーを薦められ、偶然ではない何かがあるような気がしたのです。
そして、家に帰って調べてみると、受講料分、ぴったりお金が残っていたのです。
(何万何千円ぴったりに封筒に入っていました。まるで、そのために準備されたお金かのように……)
これは、もう何が何だかわからないけど、やるしかない!という気がしました。セミナーを受けることを決意したのですが、私にとっては、まるでバンジージャンプのようなチャレンジです。対人恐怖症ですから、大勢の人の中に入っていくなんて、考えただけで冷や汗が出るほど、とても勇気のいることだったのです。
ただ、そのころの自分はとにかく、対人恐怖を克服したい!と思っていたので、そんな思い切ったこともできたのだと思います。そのくらい切羽詰まっていたのです。
セミナーは実習形式で、人と話をしなければなりません。私は、人と話をするだけでがちがちに緊張してしまい、まともに人の目をみることすらできず、何をしゃべっているのか覚えていないぐらいに舞い上がってしまいました。
顔は真っ赤になり、心臓は、はちきれんばかりにドキドキし、話をしてもしどろもどろ、汗は滝のようにとめどなく流れ……。傍から見れば、挙動不審の塊です。でも、必死だったので、とにかくこれだけはやり遂げよう!という思いだけで、セミナーを受けました。
セミナーも終盤に差し掛かったときのこと。実習中、偶然自分が対人恐怖症になった原因に気付くことができたのです。それは、セミナーの参加者の一人の男性が、子供時代の自分を振り返り、泣いている姿を見たときのことです。彼は、国内トップクラスの有名大学に通っているくらい、とても頭が切れる、私が憧れるほど完璧な人でした。
その彼が、まるで子供のように、人前でぼろぼろと涙を流しながら、自分が人に隠していた弱さを語っている姿を見たとき、なぜか自分自身と重なって見えたのです。私は、自分の弱さをいつも隠さなければならないと思っていました。弱さを出すと、人から嫌われるに違いないと思っていたからです。
私は、完璧でなければ人に認めてもらえないと思い込んでいました。だから、嫌われないように、いつも見栄を張っていました。
「俺は、怖いもんなんかない」
「失敗するやつはバカだ」
「男が人前で泣くなんて、みっともない」
そう思っていたので、どんなときも自分の感情を表に出さず、クールに装っていました。本当は、失敗が怖いただの臆病者なのに、そんな弱い自分をさらけ出す勇気がなかったのです。
ステージの上で弱い自分をさらけ出して泣いている彼に、駆け寄って抱きしめる人が現れました。一人駆け寄ったかと思うと、さらにもう一人と、次々に彼を抱きしめ始めたのです。その光景を眺めながら、こう思いました。
「弱くてもいいんだ。むしろ、弱さを出したほうが、人から愛されるんだ」
その瞬間、心がすうっと楽になり、まるで魔法が解けたように、緊張感が消えてしまったのです。
そのときの感覚は、今でも覚えていますが、目の前のガラスの玉がパリン!と割れて、外の世界にやっと出られたような感覚でした。今までの苦しみは、一体なんだったのか、と言うくらいあっという間の出来事でした。おそらく私の中の信念が一瞬にして書き変わってしまったのでしょう。
「弱さを見せてはいけない」という信念から、「弱さを隠さず出した方が愛される」「子供っぽい自分でもいい」「弱い自分でも価値がある」そういう信念に変わったのだと思います。
そして、そのとき私は、子供のように無邪気に泣いたり笑ったり、ありのままの自分を表現するということが、どれだけ素晴らしいことかにやっと気付いたのです。嬉しくて嬉しくて、笑いと涙が止まらず、気付けば、回りの人たちと一緒に、喜びを分かち合っている自分がいました。
人と話をしても緊張しないし、顔も赤くならないし、思ったことが自然にしゃべることができている!決して人に心を開かなかった自分が、心を開いて思いのすべてを人と分かち合っていたのです。
自然体で人と話をし、人と思いを分かち合い、人と一緒に笑いあえたら……。ずっとそう思っていた、願いが叶ったのです。たぶん、他の人からすれば、そんな当たり前のことが、私にとっての幸せであり、心からの願いだったのです。
そして、そのとき、私は自分の本当の思いに気付きました。「こうやって、人と笑ったり、泣いたりしながら、人間らしく生きたい」「ありのままの自分で、人と関わっていきたい」それが、わたしにとっての幸せであり、人生の目的だと解りました。
そして、ひとつの夢を持ちました。自分のように、苦しい思いをしている人を、ひとりでも多く救いたい。心からそう思ったのです。
その後、私は幸せになり、自分らしい人生を送ることができるようになりました。めでたし、めでたし……と、ここで話を終えてもいいのですが、その後、実にいろいろな経験をすることとなったのです。
自分に許せる分だけ、幸せになれる
それから、私は縁あって、そのセミナーを開催していた会社に就職することにしました。自分の思いを叶えるのにぴったりの職場だと思ったからです。自分の夢をようやく叶えられる!そう思うと毎日が楽しくて、ワクワクしていました。
しかし、厳しい現実が待っていました。私はその会社で、営業として入ったのですが、ちっとも契約が取れなかったのです。一生懸命やりましたし、人一倍頑張りましたが、初めの月は、結果ゼロ。完全歩合制ですから、給料もなく、すぐに生活に困ってしまいました。
会社のことは大好きで、仕事も楽しくてしかたないのですが、それに収入が伴いません。それでも、自分に負けたくなかったので、とにかく命がけで頑張りました。そして、 ようやく2ヶ月がたったころから、初めて契約が一件取れ、それを機に、それまで全く取れなかった契約が、嘘のように、どんどん決まっていったのです。部内では、それが噂になり「あいつ何があったんだ!?」と言われるくらい、すごい勢いでした。気付いたら、異例の出世で、入社3ヶ月目には主任に昇格していました。
しかし、それも長くはつづきませんでした。なんだか、うまくいき過ぎだ……。私は、怖くなってしまったのです。
今までの人生、こんなにうまくいったことがなかったので「この成功は、いつまで続くんだろう? 」と、不安がこみ上げてきたのです。すると、その頃からまた契約が取れなくなり、もとの調子に戻ってしまいました。それからは、どんなに頑張っても、何をしても成績が戻ることはありませんでした。そして、泣く泣くその会社を去ることを決心したのです。
問題は、乗り越えるまで繰り返される
それから、私は職を転々とすることになりました。心理関係の職に就くことは、もうあきらめました。資格も何もありませんでしたし、何よりあの時のことを思い出だすと、どうしても自信が持てなくなっていたのです。
様々な職場で、いろんな経験をすれば、きっとまた違うところで居場所が見つかるんじゃないかと考えました。子供が好きだったので「保育士になろう!」と思いたち、タウンページ片手に、「アルバイトとして雇ってくれませんか?」と電話をかけまくりました。すると、運よく、雇ってくれる保育園を見つけました。「よーし!ココで働きながら、学校へ通い、保育士の資格を取るぞ!」
そんな気持ちで、はりきって働き始めたのです。
子供たちと、楽しく遊んだり、世話をしながら、お金がもらえるなんて、いい仕事だなあ...。そんな幸せを感じていたとき、良からぬ思いが湧いてきました。以前、働いていたセミナー会社で、人材を募集しているということを知ったのです。私は正直、まだ心残りがあったので、その話を聞きにいき、どうしてもまたチャレンジしたくなってきてしまいました。
今度こそ、結果を出したい!もしかすると、ムキになっていたのかもしれません。あるいは、まだ夢への未練があったのでしょう。私は、もう一度だけ、その会社で挑戦してみることにしました。
保育園の人たちには、本当に申し訳なかったのですが、自分に嘘はつきたくないと思い、自分のやりたいことをすることに決めました。そして、またセミナー会社で、同じ営業として、働くことにしました。今度こそ、絶対に成功しなければ...そんな気持ちでした。
そして、必死でアポイントを取って、商談をしているうちに、結果が出始めました。「よーし!この調子で頑張るぞー!」張り切って、一生懸命に仕事に打ち込みましたが、結果が伴ったのは、初めだけで、後はまた成績がどんどん落ちていってしまったのです。なぜなのかは、解りませんでしたが、どんなに頑張っても、どんなに一生懸命になっても、成績は落ちることはあれども、上がることは無かったのです。
そして、再びその会社を去ることを、決意せざるを得なくなったのです。
新しい学びへ
その後は、また違う職を転々とし、思いつきでやりたいことをしていました。水道修理のバイトを見つけ、2年ほど働いて少しスキルを身につけてきたころ、その会社の強引な営業方法や、就労時間の長さが嫌になってきました。実際、昼夜を問わない24時間体制の仕事に、体力的にも、精神的にもへとへとでした。
「もうこれ以上は無理だ……」そう思い、転職することにしたのです。そして、そこで培ったスキルを活かして、水道の配管設計者になることを思いつきました。絵を描くことは好きだし、設計は一度やってみたかった仕事だからです。そこで、技術専門校に通い、設計のスキルを学ぶことにしました。
その一年間は、とても楽しいものでした。学生時代は勉強が嫌いだっただけに、自分のやりたいことのために学ぶことが、こんなにも楽しいことだとは思ってもみませんでした。そして、卒業して、そろそろまともな会社に就職しようと思い、生まれてはじめて、固定給の会社へ就職することになったのです。
自分に向かないことはしなくていい
私は、それまで、まともに就職というものをしたことがありませんでした。サラリーマンは、この世で一番自分に向いていないと思っていたからです。何かに縛られたり、命令されるのが大嫌いでしたから、会社勤めは自分には無理だと思っていたのです。
案の定、サラリーマン生活は、自分にとって地獄のような日々でした。上司とも話しが合わず、会社の雰囲気も堅苦しくて、全く楽しくありません。せっかく雇ってくれた会社に対して、こんなことを言うのは憚られますが、何をとっても魅力がなかったのです。
おまけに、新人ですから、重要な仕事を任されるわけもありません。図面の清書だとかコピーだとか、雑務ばかりで、初めからやりたいことができるわけではありません。せっかく学んできたスキルも、ほどんど活かされることもなく、悶々とした日々が続いていました。
そして、直属のベテラン上司から、小さなミスをとがめられ、毎日のように怒られているうち、どんどんと自信を失っていきました。やる気も無くなり、会社に行くことが憂鬱になっていき、日曜日の夜は、会社に行きたくないあまり、死にたいと思うようにさえなってしまったのです。
自分は、一体何をやっているのだろう...何のために生きているのだろう...。毎日毎日、任された仕事を、ただマシンのようにこなし、一日が過ぎ去るのをじっと耐えるような日々が続きました。しかし、結婚もしていたので、あまりわがままなことも言っていられません。生活のためもありましたし、何をやっても長続きしない自分とも決別したかった。だから、私は、歯を食いしばって我慢しました。
そして、鬱々とした気持ちで、仕事を続けているうち、ふとあることに気付いたのです。嫌いな上司が、自分のと父親に似ているということを...。それから、私はその上司を見る目が変わっていきました。
職人気質の、偏屈で短気な頑固親父でしたが、よく見れば、気持ちの表現が不器用なだけで、本当は面倒見のいい、仕事熱心な人だと思えるようになったのです。その人も、きっと私が心を開いてくれないことが寂しくて、怒っていたのだと気づき、申し訳ないことをしていたと、とても反省しました。
そして、苦手だった上司を尊敬できるようになったとき、上司との関係も少しづつ変わっていきました。以前は、叱られてばかりだったのが、認めてくれることも増えてきたのです。
そんなことがあって、しばらくしたとき、転勤を命じられました。以前から、自分が行きたかった部署への転属でした。
今の仕事から何を学ぶか
私は、そのときの経験を通じて、ひとつのことを学びました。それは 「どんな嫌な仕事でも、得るものがある」 ということでした。今までの自分の考えでは、やりたくないことを我慢してやるのは馬鹿げているし、好きなことだけするのが幸せなんだと思っていたのです。
しかし、私はどうしても気付く必要があったのです。父親との確執があること、それを本当は乗り越えたい自分いること、そして仕事への姿勢を改める必要があることを。そのとき、今までどうして仕事が長続きしなかったのかが、わかるような気がしたのです。
ベストを尽くして、自分の能力を出しきっているのか?積極的にに学ぼうとしているのか?それを、上司の背中を通して教えてもらっていたのです。
できることを精一杯やろう
転属先の部署では、私を歓迎してくれ、私も今まで学んだスキルを思う存分使うことができました。「あいつ、転勤してから人が変わったように、優秀になったなあ」そう社長に言われるほどに変わっていきました。私はただ、上司の指示に従って、自分の能力を出し惜しみせずに、出し切っただけです。それまでは、遠慮して持っているものを使っていなかった…と言えば聞こえはいいですが、目の前の嫌なことからずっと逃げていたのだと思います。
とにかく、今できることを手を抜くことなく精一杯やろうとしました。同僚や、先輩もとても親切で「こんな職場に早く来たかった!」と思いましたが、やはり前の部署で自分の中の何かが変わったから、その職場に移れたのだと思います。
そして、自信を取り戻した私は、自分の本当にやりたいことをしたいと、再び思い始めていました。やはり、実際にやってみて、サラリーマンには自分は向いていないと解ったのです。苦手なものを無理して続けても苦しいだけだ、自分が本当にやりたいと思うことをしたほうがいい、そして、今度こそ、自分が決めたことは最後までやり抜こう、そう決心したのです。
人生に偶然は無い
そこで私は、サラリーマン以外に何ができるのか、本当は何がしたいのかということを再び考えるようになりました。サラリーマン以外となると、独立するということになります。それには、経営、マーケティングなどのビジネスの知識、独自の技術やサービス、専門知識など、スキルが必要です。
しかし、私には何もありません。「何かをしなければ」と焦る気持ちがあっても、具体的に何をすればいいのかがわかりません。とりあえずは、マーケティングの本や、経営に関する本などを読んではいましたが、肝心のそれを何に使うのかという問題が解決できずに残っていました。
そこで、私は、思いきって生まれてはじめてのカウンセリングを受けてみることにしました。何か、ヒントが得られたら、そういう思いがあったからです。しかし、そこでは残念ながら期待したほどの結果は得られませんでした。
その後、キャリアカウンセリングも受けてみましたが、何となく違うという気がしました。自分の適性は解っても、それが本当にやりたいことでは無かったからです。やはり、好きなことを仕事にすることは、難しいものなんだろうかと諦めかけていたそのときです。心理療法の存在を、偶然知ることとなったのです。
そのとき出会った心理療法の先生は、私と同じように悩み、そして心理療法によって救われ、脱サラして心理療法家となったのだということを知りました。もしかしたら、この人のセッションなら自分の悩みを解決できるかもしれない、自分の本当にやりたいことが解るかもしれない、と私は直感しました。
セッションを受けてみて、私はいかに今まで自分の気持ちを抑えていたかということに、改めて気付かされました。十年以上前に悩んでいたときと、全く同じことをしていたのです。心を閉ざして、見たくない現実から目をそらしている自分。もう、そんな生き方はするまい、とあれほど身にしみて解っていたつもりだったのに...。
それからは、自分に嘘をつくことはもうやめようと決心しました。そして再び「ありのままの自分で人と関わる仕事がしたい」と思い立ち、その夢に正面から向き合うことにしたのです。
とりあえすできることから
そして、私は、セッション後の行動課題として、ブログを書き始めました。このとき、自由なライフスタイルにあこがれて「作家になる」という目標を掲げました。正直、本当に作家になれるか自信はありませんでしたが、やっと前に進めることが嬉しかったです。
それから、再び自分を救ってくれた「心理療法家」という職業にも興味が湧き、学んでみたいという気持ちも湧きました。プロとしてやっていけるかどうか分かりませんし、自信もありませんでした。でも、後悔だけはしたくなかったので、思い切って心理療法の勉強を始めました。そして、心理療法を学べば学ぶほど、いかに「自分が小さな枠の中で生きてきたか」ということが分かりました。
心理療法のワークを通して、自分を許し、気づきを深めていくうちに、自分の周りが劇的に変わっていくことを実感していきました。職場環境、上司の態度、仕事へのやる気、全てが自分の望む方向へと変わりだしたのです。
私の師は、こう言います。「幸せには流れがある。それに逆らっているから、幸せになれないんだよ。幸せの流れに乗るだけで、頑張らなくても、みんな幸せになれるんだよ」
私が、その流れに乗れたかどうかは分かりません。しかし、少なくとも、流れに逆らうことをやめてから、物事が上手くいき始めたのは間違いないと思うのです。
辛いことも、悲しいことも全てが財産
私の人生は、決して順風満帆ではありませんでした。夢をあきらめ、たくさんの回り道をしてきました。挫折もありましたし、失敗もたくさんありました。失恋や離婚も経験しましたし、たくさん転職も繰り返しました。死にたくなるほど辛い時期もありましたし、感動で涙するほど嬉しいこともありました。
そして、様々な経験をして、今、思うのです。辛いことも悲しいこともあったけど、ひとつ残らず自分の財産なんだ。あらゆる意味で、私はたくさんの経験を与えられて生きてきたんだ、と。
私が心理療法家になろう、と決心したことは、自分の人生の中で、最も最善の選択であったと思います。自信や適性があるからではなく、魂からそれをしたいと思ったから、そうなったのだと思っています。私がこれまでに悩み、経験してきたことの全てを活かして人と関わっていきたい。それが、自分が人様にできる最大の貢献だと思っています。
私は、まだまだセラピストとしても、人間としても未熟です。未だにクライアントさんと共に悩んでしまうこともありますし、時に、不適切な関わりをしたのではと、くよくよ悩んでしまうこともあります。それでも、私のもとに来てくれるクライアントさんは、必ず幸せになれると信じて仕事をしています。そして、どんな人でも、必ず幸せになれる、いつか、必ず輝ける日が来ると信じて、今日もクライアントさんと向き合い続けています。
私の長い話に、最後までお付き合いくださり、ありがとうございます。あなたとのご縁に、感謝します。そして、いつかお会いできるときを、楽しみにしています。
あなたを輝かせるセラピスト
竹内 智宏