こころの休憩室(心理コラム)

無害者という生き方

こんにちは、スナフキンです。

心理学では「被害者意識は人を無力にする」と言われています。「自分は悪くない」「全部あいつが悪い」そう考えれば楽です。しかし、幸も不幸も相手次第で、相手が変わってくれなければ打つ術がありません。まさに、無力というわけです。

一方、加害者意識というのも、また人を無力にします。加害者意識というのは、いわゆる罪悪感です。「悪いのは全て自分のせいだ」一見立派な人のように映りますが、こうなると罪悪感に縛られて自由に身動きが取れません。これも、また被害者意識と同様に、人を無力にするわけです。

そして、あまり知られていませんが、実は、もう一つ、被害者でも加害者でもない立場があります。それが、無害者という立場です。「私もあなたも悪くない」そういう立場が無害者意識です。

アカウンタビリティの本意

心理学の用語に、「アカウンタビリティ」という言葉があります。一般的には、”説明責任”などの意味で使われますが、ここで言うアカウンタビリティは、「自分の人生の全てに責任を持つ」という意味を持ちます。

人生で起きる出来事は、全て自分に責任がある。これが、アカウンタビリティです。

こう言うと、よく勘違いされるのが、「嫌なことが起きたのは自分が悪いからだ」「あなたに非があるから問題が起きるんだ」と思われることです。スピリチュアルをかじった人が、アカウンタビリティを、「あなたの意識が低いから問題が起きた」などと、人を攻撃する道具に使うのを目にします。私も、昔はよく分かっていなくて、「問題が起きたのは、あなたの責任ですよ」などと、したり顔で攻撃していました。

でも、これはよくある間違いです。

そもそも、アカウンタビリティは、自分や誰かを攻撃したり、苦しめるものではなく、自分や人を自由に、楽にするための考え方です。誰も悪者はいない。そして、自分次第で世界は変えられる。これが、アカウンタビリティの本意です。

目の前に気に入らない人がいても、相手や自分を責めるのではなく、自分のものの見方、考え方を変えることで、自由に、楽になることができます。

例えば、あなたの目の前に、あなたを虐めてくるパワハラ上司が現れたとしましょう。「こんなクソ上司がいるせいで仕事がしんどいんだ」そう考えることもできます。あるいは、「自分に何か問題があるから パワハラ上司が現れちゃったんだ」と考えることもできます。

前者よりも後者の方が、少しましなようにも思えますが、実は、どちらも似たり寄ったりです。人のせいにするのか、自分のせいにするのかが違うだけで、「誰それのせいで」と考えている時点で、根っこは同じ考え方なんです。

これを、無害者意識で考えると、「これは、自分がよりハッピーに、楽に生きるためのチャンスだ」と捉えることができます。無害者意識は、問題や人を「悪」と考えません。「起きる出来事は全ては善である」「必ず今よりもっといい結果がある」と考えます。今までとは、ものの見方、考え方を変えることで、何かしら、より良い生き方に変わるはず。無害者意識の人はそう考えます。

そして、被害者意識や加害者意識のときとは、全く違う発想が浮かんできます。

「そうだ!このことを上司の上司に相談してみよう」
「これは、自分の本当に好きな道に進めってことかも」
「たまには、自分の本音を言ってみようかな」
「上司は、本当は何を自分に求めているのかな」
「コミュニケーションの技術を学んでみようか」
「この際、心理学を本格的に学んでみるのもいいかも」

そうやって、起きた出来事をフラットに受け止めて、今よりも、もっといい結果を生むために行動をします。

被害者意識や、加害者意識は「誰それのせいで」と考えた時点で、思考停止を招きます。しかし、無害者意識は、「よりハッピーな結果を生むにはどうすればいい?」と考えるので、クリエイティブな発想が生まれます。

こういう、ちょっとした意識の違いが、大きな違いを生み出すわけですね。

私の講座では、こういう根本的なことをたくさん話します。なぜなら、人生を変える最も重要なものは、テクニックではなく、ものの見方、考え方、つまり「在り方」にあるからです。

 

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