ステージの上で泣いている彼と
彼を抱擁する人たちを見て、
私は思いました。
強い自分じゃなくていいんだ。
弱さを出してもいいんだ。
いや、むしろ弱さを出した方が、
優しく受け入れてもらえたのに、
どうしてそんな簡単なことにも
今まで気づけなかったんだろう。
そのとき、自分の中で何かが
変わっていくのが分かりました。
体の緊張が解け、
視界が広がり、目の前がパーっと
明るくなりました。
まるで自分を覆っていたバリアが
一瞬で溶けたような、
自分を縛っていた鎖が解けたような、
そんな感じがしました。
実習後、グループで感想をシェアし合うとき
興奮気味に自分に起きたことを
みんなに話しました。
これまで感じたことがないような
嬉しさや、驚き、感動などが
言葉になってどんどん溢れ出していました。
きっと、それは表情や仕草にも
現れていたのでしょう。
私の姿を見て、グループの仲間たちも
「なんか、雰囲気が変わったね!」
「すごく明るくなった」
「今のあなたの方がずっといいよ!」
「よかったね」
驚きながらも、
私のことを受け入れてくれました。
こうして偶然ではありますが、
一瞬にして対人恐怖症は治ってしまいました。
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私たちは、
「ありのままの自分ではダメだ」と
どこかで信じています。
だから、自分を偽り、取り繕い、
人に合わせて、いい人になろうとします。
しかし
「ありのままの自分ではダメだ」
というのは、単なる思い込みに過ぎません。
人はみんな、不完全です。
何がができる代わりに、
何かができないし、
何かが優れている代わりに、
何がが欠けています。
完璧な人はこの世界にいません。
プラスの面があれば、
必ず同じだけマイナスの面を持っています。
出っ張ったり、引っ込んだり、
みんな、でこぼこで歪な形をしています。
でも、それでいいんです。
へっこんでいる部分を
何かで埋める必要はないし、
欠けている部分を
取り繕う必要もありません。
それは、例えて言えば、
ジグソーパズルのようなものです。
パズルのピースのように
互いに補い合って完成するのが
この世界です。
自分の出っ張っている部分で
相手の引っ込んでいる部分とつながり、
自分の引っ込んでいる部分は、
相手の出っ張っている部分でつながる。
そうやってパズルは完成します。
パズルのように、
互いに助け合い、補い合うことで
この世界は完成するようにできているのです。
これが、私が対人恐怖症から
身をもって学んだことです。
私はずっと、足りない部分を隠して
あたかも足りているような
演技をしていました。
欠けている部分を、
欠けていないようなふりをしていました。
でも、そんなの周りの人たちには
とっくにバレていたと思います。
自分の欠けているところを、
ありのまま、そのまま人に見せたら、
嫌われるどころか、
むしろ優しく受け入れてくれました。
そして、自分を良く見せようと
頑張っていたときよりも
たくさんの人と仲良くなれたし、
心で繋がった暖かい関係を築けるようになりました。
自分を好きになるには、
自分の欠けていると思っているところや
嫌っているところを
いいとか悪いとかジャッジしないで
そのままを認めることが必要です。
ああ、自分には
確かにこういうところがある。
苦手なこともあるし、
悪い癖もある。
時に嫌なやつになることもある。
でも、それも含めて自分なんだ。
そうやって、自分の中にある個性や感情を
そのまま認めて受け入れていくと、
どんどん自分のことが好きになります。
では、どうやって欠点を含めて
ありのままの自分を受け入れれば
いいのでしょうか。
(続く)