こころの休憩室(心理コラム)

胡瓜の涙

”大きくなれなかったけど
おいしいきゅうり”

 

ある日、スーパーで
こんなPOPを掲示されて
小ぶりなきゅうりが売られていたんです。

 

それを見た男性は
思わず涙ぐみました。

 

そうか、大きくなれなかったんだ。

 

でも……

 

……よく……頑張ったね(涙)

 

きゅうりに悲しいとか悔しいとか
そう感じる心があるのかどうか
私には分かりません。

 

ただ、その男性は
大きくなれなかったきゅうりに
自分を重ねて見ていたのでしょう。

 

彼にように、物や他人の姿に
自分を重ねて見ることを
心理学では「投影」と呼びます。

 

心理療法にはこの「投影」の原理を
使ったものがたくさんあります。

 

例えば、ゲシュタルト療法という
心理療法には「夢のワーク」
というものがあります。

 

「眠っている間に見る夢は、
自分の心を反映している」

 

ユングが考えた仮説を元に
考案されたワークです。

 

ある女性は、
何度も見る悪夢に悩まされていました。

 

それは、”なにか”に追われて
逃げている夢。

 

そして、もう逃げ切れない!
と思った瞬間に夢から覚めるのです。

 

夢占いでは、
心理的なプレッシャーがあるとか、
仕事が忙しいのかもなど
夢から心の状態を分析をします。

 

ですが夢のワークでは
心理分析は一切せずに
全く違ったアプローチを取ります。

 

「夢そのもの」になって
夢を再体験するんです。

 

夢に出てきた人物や
登場する物に”なったつもり”になって
気づきを深めていくんですね。

 

その女性のケースだと
草原でたたずんでいると
突然、後ろから怖いなにかが襲ってきて
逃げるという夢でした。

 

そこで「草原」になってみたり、
襲ってくる「なにか」になりきって、
それぞれの気持ちを感じてみたんです。

 

夢に現れるものは、
それが人であっても
物であっても舞台設定であっても
すべて「自分」だと考えます。

 

なので「草原」も自分だし、
「なにか」も自分なわけですね。

 

「草原」や襲ってくる「なにか」に
なってみたとき、
ひとつ思い出したことがありました。

 

それは、10歳で死別した
お父さんのことでした。

 

当時、まだ幼かった彼女は、
父親の死をとても怖く感じていて
でも、その気持ちを誰にも言えずに
ひとりで抱えていました。

 

お父さんがいなくなってしまう。

 

大好きなお父さんが
どこか遠くに行ってしまう。

 

彼女にとっては悲しみよりも
そんな怖さの方が
強かったのかもしれません。

 

その頃から、この追われる夢を
見始めたことを思い出したのです。

 

「草原」はやさしいお父さんを、

「追いかけてくる恐ろしい何か」は
お父さんに迫る死を連想させました。

 

そこで初めて彼女は、
怖さの奥にあった悲しみに触れました。

 

そして、父親や母親に対して
なんの力にもなれなかった
無力な自分にも気づきました。

 

怖さ、悲しさ、
そして後悔の念が昇華したことで
それ以来、彼女が悪夢を見ることは
なくなりました。

 

そして、本当にやりたかったことに
踏み出すことができたのです。

 

******

 

私たちは心のなかに
いくつもの人格を持っています。

 

怒りっぽい自分

無力な自分

怖がりな自分

逃げている自分

 

すべて自分であり、
そこには、いいとか悪いという
判断はありません。

 

ただ「こんな自分は嫌だ」と
自分を否定をすることで、
感情や個性を殺してしまうのです。

 

自己受容とは、
すべての自分を受け入れる
ということです。

 

好きな部分も、嫌いな部分も
いい感情も悪い感情も
全部ひっくるめて受け入れる。

 

すると大きくも小さくもない
等身大の自分になります。

 

肩の力が抜けた、
自然な姿になります。

 

もしもなにか
うまくいっていないことがあるなら、
それは自分の”何か”を拒否している
ということです。

 

その何かを認め、受け入れることで
滞っていた人生の流れがすーっと通ります。

 

その”何か”を見つける方法があります。

 

それも、たくさん。

 

自分にあったやり方を
ここから見つけてください↓

https://hidamarinoki.com/quick/lp.html

 

最後までご覧いただきありがとうございます。

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