私はどちらかというと慎重で
失敗を避けたい人間です。
これまで、石橋を叩き割った数は
千や二千では済まないと思います。
そんな私が、ある頃から
失敗をあまり恐れなくなった
ということがありました。
そして、チャレンジが増えた分、
成長もどんどん早くなりました。
何があったから、
失敗がそれほど気にならなくなったのか?
それは、失敗の定義を変えたからです。
失敗してはいけない。
失敗すると笑われる。
失敗は、恥ずかしい。
それが、私が持っていた
失敗のイメージでした。
昔から、よく何かやらかして
怒られていたので、
失敗=嫌なこと
と定義していたんですね。
よく失敗をして、
親からも怒られたし、
先生からも怒られたし、
上司からも怒られていました。
だから、失敗=怖いと
体が学習したんです。
何か新しいことに取り組もうとすると
体が緊張して「怖い!」って拒否するんですね。
だから、
(これは別にそこまで
やりたいことじゃないし……)
とチャレンジをしないんです。
せっかくのチャンスがきても、
棒に振ってしまうなんて
もったいないですよね。
ところで、
失敗するほど人生はうまくいく!
そう言われたら、どう感じますか?
アメリカは、失敗した人を
チャレンジャーとして
リスペクトする文化があります。
ベンチャーが盛んなのも、
イノベーションがたくさん起きるのも
新たなチャレンジを推奨しているからで
まさにパイオニア精神で
発展してきた国らしい文化ですよね。
失敗そのものが悪いわけではない。
人間は完全ではないから必ず失敗します。
それは仕方がないことだし、
失敗を責めたところで何も変わりません。
本当の問題は、
失敗から何も学ばないことです。
失敗というのは、データです。
このやり方だとこうなるのか、
という一つのデータであり、
いいとか、悪いとかではないんです。
ただ、かつての私のように、
データを検証しないまま
「失敗」というレッテルを貼って、
心の奥に封印してしまう人が多いんです。
失敗には、実にたくさんの
教訓が含まれています。
こうすれば、もっとうまくいく。
こうすれば、同じ轍は踏まなくて済む。
ちゃんと検証したら
そういう教訓や示唆が
たくさん発見できるんです。
でも、失敗=悪いことと捉えていると
失敗から学ぶことよりも、
なかったことにして、
隠そうとする方に意識が向きます。
企業や政府の隠蔽体質も
失敗=悪と捉えているから
起きることです。
もしこの国が失敗に対してもっと寛容で、
ポジティブなイメージを持つ文化なら、
失敗があったときに
「こんな結果になりました。
私たちはこんな改善策を考えました。
みなさんは、どんなアイデアがありますか?」
と改善するアイデアを
募っちゃうかもしれません。
そのほうがよっぽど建設的だし、
発展していきますよね。
失敗したくないという気持ちは
痛いほどわかります。
私もできたら失敗は避けたいです。
でも、失敗するほどたくさん学び、
早く成長できるとしたら、
失敗=いいこと
という定義になると思いませんか。
転んだら痛いです。
怪我はなるべくしたくないです。
でも、怪我を恐れて走るのをやめたら
走る喜びは得られません。
失敗したら、
「よくやった!えらい!」
「すごい!はなまる!」
と手放して自分を褒めてあげても
いいんじゃないでしょうか。
そして、結果を検証して、
次はどうしたらいい?と考えたら
次はもっとうまくいく可能性が高まります。
みんな、自分にも人にも
厳しすぎるんです。
自分や人を責めるのをやめて、
もっと、愛と優しさを持って
自分に接してあげてください。
今日も応援しています!