こころの休憩室(心理コラム)

自己受容に必要なこと

こんにちは、心理セラピストの竹内ともひろです。

前回、自己受容は人生の土台であり、あらゆる幸せや自己実現は、自己受容なくしてあり得ない、というお話をしました。しかし、実際に、自己受容について、ちゃんと理解している人は少ないように思います。例えば「自分に自信をつけるには、成功体験をたくさんすることだ。そうすれば自分を好きになれる」という考えがあります。確かに、成功体験が多いほど「自分はできる」という自信はつきます。ただ、これと自己受容は全く別なんですね。

自己受容とは、ありのままの自分を受け入れ、愛することです。何かができるから価値がある、というのは、自己肯定ではあっても、自己受容ではないんです。自己受容は「何かができる自分は愛せる」という条件付きの愛ではありません。できる自分も、できない自分も関係なく、無条件に自分を愛するということです。

私たちは、子供の頃から「できない=ダメ」「できる=価値がある」というように洗脳されています。現代社会は人の価値を計るときに、その人に何ができるのか、あるいは、過去に何をしてきたのかで判断することが多いです。就職するときも、結婚相手を決めるときも、「何ができるか」という物差しで判断する人が多いんですね。

もちろん、それが悪いとか、間違っているということではありません。「何ができるか」も重要な判断基準のひとつです。しかし現代は、あまりにそれが行き過ぎていて、全てをそれで判断してしまっているという気がします。そんな背景もあり「できるからいい」「できないからよくない」と人からも判断をされることで、より自己受容がしづらくなるという悪循環にもなっています。

ただ、こういう話をすると、こんなふうにも言われます。

「じゃあ、本当に何もできない人でもいいのか?」

「何もできなくても価値がある、なんて言う人が増えたら、真面目に生きてる人が『できない人』たちの世話を焼くことになる。それって、迷惑がかかるんじゃないの?」

「何もできなくてもいいなら、人は成長しなくなるし、文化も発展しないじゃないか!」

そう考える人もいますが、これもまた極端な話です。自己受容はあくまで土台です。土台だけでは、家として機能しませんよね。土台の上に建屋が建って、家は完成するわけです。自己受容だけでも、自己実現だけでも不完全で、両方あって、幸せな人生になるんですね。現代人は、自己実現はできても、自己受容ができていないという人が多いです。表立っては成功して幸せそうに見えても、実は、自分に自信がないし、幸せでもないという人もいます。

自己受容ができているかは、どう育てられてきたか、どんな教育を受けてきたかに大きな影響を受けます。現代社会では、自己受容より、自己実現に重きを置く教育が行われています。特に、経済発展ど真ん中の昭和時代に生まれた人は、その傾向が顕著です。みんなと同じように何でもできなければいけない。できないのはダメであり、競争に勝てなかった人は社会の負け犬だ。そんな価値観がベースにあるので、自己受容が十分ではない人が多いんですね。

そんな環境の中でも、自己受容感を高めていくには「覚悟」が必要です。それも、生半可な覚悟ではなく「絶対に」という覚悟です。

私自身、対人恐怖症を克服したときも、起業をしたときも、人生が変わるほどの願いが叶ったときは、必ず「覚悟」を決めていました。覚悟を決めるというと「命がけでやらなきゃ!」「死にものぐるいでやらなきゃ!」みたいに、すごく大変なことと勘違いする人も多いのですが、実はそういうことではないんです。覚悟について、ちゃんと理解している人が少ないと思うんです。

覚悟を決めるって、本当はどういうことなのか?

覚悟を決めるとどうなるのか?

覚悟を決めるコツはあるのか?

その辺りの話について、次回、じっくりしたいと思います。

お楽しみに^^

 

●編集後記

今、書いている小説が長くなって、上・下巻とかになりそう。とりあえず書いているけど、完結できるかな〜!?(^^;)

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